2020年大河ドラマ「麒麟がくる」「明智光秀」を巡る岐阜県の旅

どうも!はぎおまさるです!

日本全国津々浦々、転勤で住み歩き飲み食べ歩いた経験から、ヘルスケア情報・介護問題・地域情報を発信しています。

今回は「岐阜県」を取り上げました。

中部圏の中心地。この辺りでは「 (愛・三・岐) あい・さん・ぎ」と言って、愛知三重岐阜は今も昔も政治経済の要の地なのです。

そして、21世紀の大きな節目、東京オリンピックイヤーとなる2020年のNHKの大河ドラマが 、 「麒麟がくる」に決定されました。

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明智光秀由来の地

岐阜県東濃地区を中心とする舞台

舞台が、今で言う岐阜県は東濃を中心に~京都にかけてのスペクタクルです。

当時の美濃国から京都中心に繰り広げられる大スペクタクルです。

王が仁のある政治を行う時に必ず現れるという聖なる獣、麒麟(きりん)。

応仁の乱後の荒廃した世を立て直し、民を飢えや戦乱の苦しみから解放してくれるのは、誰なのか?
そして、麒麟はいつ、来るのか?

長谷川博己 演じる明智光秀

長谷川博己 演じる明智光秀を主人公に、戦国初期の群雄割拠の戦乱のなか、各地の英傑たちが天下を狙って、命をかけ愛をかけ戦う、戦国のビギニングにして「一大叙事詩」が繰り広げられるのだそうです。楽しみですね。

日本全国津々浦々訪ね歩いた経験から今回は明智光秀由来の土地の観光スポット情報をご紹介します。

混みあわない今のうちに訪れることをおススメいたします。

主役の明智光秀とは?

Akechi Mituhide2Akechi Mituhide2.jpg出典:ウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons)

1540年代なかば、東西の要衝たる美濃の地に、一人の若き虎がいました。
名は明智十兵衛光秀。一介の牢人である青年光秀の胸の奥にはまだ自分でも気づかぬ静かな炎が燃えていました。 一介の浪人から織田信長に仕え、その卓越した才能を発揮し、織田家の中でも異例の出世をします。 所領では税金を軽減して治水工事を行うなど善政も見られ、はたまた連歌会を催すなど教養も豊かな片りんを見せます。

織田信長:ウイキペディア

そして、織田信長の天下統一に尽力するも、突如謀反を起こし、本能寺の変にて織田信長を討った人物としてあまりにも有名です。
織田信長を討つも味方する者はなく、山崎の戦いにて豊臣秀吉に破れ、逃走中に土民に襲撃されて、わずか11日の天下であったとされるのが明智光秀です。

これまでの大河ドラマにもたびたび登場していた明智光秀ですが、秀吉や信長などの戦国武将の陰に隠れていましたので、初めての主役抜擢となります。そんな光秀の出生からの由来の土地を旅してみましょう。

明智光秀由来の地

明智光秀とその一族の墓:ウイキペディア

明智氏(あけちし)は、清和源氏土岐氏の支流氏族で、発祥地は現在の岐阜県恵那市明智町でしたが、土岐宗家5代頼遠の岐阜長森移転に伴い、明智宗家は明智庄(可児市)へ移転しました。 出生地は、美濃国あたりで、岐阜県可児市明智の明智城とも岐阜県恵那市の言われていますが、他に、恵那市明智町の明知城や、山県市美山出身などの伝承もあります。(出展:ウイキペディア)
順を追って訪ねてみましょう。

明智光秀ゆかりの地 「美濃国」

白川郷の合掌造り集落(荻町), 岐阜県白川村:ウイキペディア

美濃国(みののくに)とは、おおざっぱなくくりで今の岐阜県にあたります。近隣の国と言えば、飛騨、信濃、越前、尾張、三河で、まさに戦国武将がひしめきあっていた歴史発祥の国と言っても過言ではありません。至る処に名所仏跡があり、枚挙にいとまがありません。明智光秀に関わる代表的な名所をもっともっと巡ってみましょう!

岐阜城

金華山の山上にある岐阜城と岐阜城資料館:ウイキペディア

今から約800年前の鎌倉時代、ここに小さな砦が築かれたのが「岐阜城」の始まりです。織田信長が居城、城主の入れ替わりやお城の建て替えが何度かありながら、現在の建物(昭和31年に完成した鉄筋コンクリート造り4階建て)になっており、「日本百名城」の一つとなっています。

岐阜城天守から西の方向を眺めれば、眼下を流れるのは「日本の名水百選」に選ばれている「長良川」。正面に見える白い山は標高1377mで「日本百名山」の一つ「伊吹山(いぶきやま)」です。

伊吹山:ウイキペディア

JR岐阜駅前広場に建つ織田信長像。台座も含めると高さ11メートル、右手に火縄銃、左手に兜を持ち、これでもかというほど金色に輝いています。
戦国時代の1567年、当時33歳だった織田信長が城郭と城下町を整備し、それまで「井ノ口(いのくち)」と呼ばれていたこの一帯を「岐阜」と命名しました。以来、滋賀県の安土城に移るまでの約8年間、ここ岐阜を拠点にして天下統一を目指したのです。とても景色の良い場所なので、まるで日本全土を見渡しているような気分になってしまいます。

斎藤道三の遺骸が葬られ、後に現在地に移転されたという道三塚(岐阜県岐阜市道三町)ウイキペディア

若き頃、下剋上げこくじょうの代名詞・美濃の斎藤道三を主君として 勇猛果敢に戦場をかけぬけ、その教えを胸に、やがて織田信長の盟友となり、多くの群雄と天下をめぐって争う智将・明智光秀。
「麒麟がくる」では謎めいた光秀の前半生に光を当て、彼の生涯を中心に、戦国の英傑たちの運命の行く末を描かれるのだそうです。

従来の価値観が崩壊し、新たな道を模索する現代の多くの日本人に向けて、同じように未来が見えなかった16世紀の混迷の中で、懸命に希望の光を追い求めた光秀と数多くの英傑たちの青春の志を、エネルギッシュな群像劇として描き、2020年、新たな時代を迎えるすべての日本人に希望と勇気の物語となるそうです。楽しみですね。

明智光秀ゆかりの地 「恵那市明智町」

岐阜県恵那市にある明知鉄道明知線明智駅:ウイキペディア

今では恵那市に組み入れられている「明智町」は恵那市の南部に位置します。標高は210mから823mと丘陵状の山を伴ってゆるく低くなっています。町は大正村と呼ばれ、大正時代の面影を残し、村長に司葉子さんを迎え町おこしに力をいれています。

【大正村役場】  古き時代の町並みをそっくり保存した日本大正村は重厚な造りの村役場や、土蔵造りの資料館、町のいたるところで大正文化と出会うことができます。景色や町を包む雰囲気を感じながら散策をしてみませんか?

光秀まつり

https://youtu.be/e0Si8KHQOQw

 明智町の恒例行事です。光秀の誕生の地として、悲劇の名称を偲び、武者行列を繰り出します。光秀公を先頭に鎧武者、鉄砲隊、旗指物、姫君、腰元、女中衆が続きます。来訪者で町中あふれるばかりです。

光秀は。大河ドラマ「麒麟がくる」で、従来のイメージを覆す新しいキャラクター像として、描いていきます。
私怨により本能寺で信長を討った謀反人のイメージを覆す、勇猛果敢かつ理知的な天才・明智光秀。史料がほとんど残っていない20代の青春時代から描写していきます。
また、革新的な魔王のイメージが強い光秀の主君・織田信長を、最近の研究で見直されている保守的かつ中世的な側面も強調、父・信秀から実直に受け継いだ財政面、経営面での才覚も描いていきます。
さらに親子二代で美濃をのっとったという説に基づく斎藤道三、反織田勢力を自由自在に操り、室町幕府の再興をなそうとする権謀術数にたけた第15代将軍・足利義昭、ほかにも若く野心にあふれる細川藤孝、松永久秀、今川義元など、一癖もふた癖もある群雄たちが、戦国時代を舞台に、縦横無尽に活躍します。そんな舞台を現地で感じてみてください。今のうちですよ。

恵那グルメ

名物は栗きんとんです。
栗きんとんの本場!岐阜中津川の栗100%!本物の栗きんとんを2店、【恵那 川上屋】【くり屋南陽軒】 をご紹介!

恵那 川上屋

地元岐阜で採れた素材を中心に、和洋様々なお菓子を提供しています。
栗きんとんは栗を砂糖のみでシンプルに味付けし炊き上げ、 茶巾で絞った、素朴ながらも素材本来の風味を満喫できるお菓子です。 川上屋さんは、独自の技術により、季節ならではの素材と組み合わせた四季のくりきんとんも提供しており、大変人気です。

素材の独自な加工・保存技術により1年を通しておいしい栗菓子が楽しめます。



くり屋南陽軒

地元の栗農家・農協と契約し地元の新鮮な栗を使用しています。 栗きんとんの本場、岐阜中津川の創業余年の老舗の和菓子屋さんです。

TVの秘密のケンミンSHOW

、ヒルナンデス等で、岐阜県民の高級スイーツとして紹介され、10万個以上販売。某ショッピングサイトで、栗きんとん、栗柿ともに総合ランキング1位を獲得しています。

栗100%+砂糖だけの本物の栗きんとんは秋の味覚として、 敬老の日ギフト、お正月の栗きんとんとしてお歳暮、お年賀としても最適です。



恵那峡

明智光秀ゆかりの地
恵那峡:takami torao [Public domain], ウィキメディア・コモンズ

光秀出生の地の一つとされる恵那には、岐阜県恵那市・中津川市を流れる木曽川中流の名勝地「恵那峡」があります。。 この恵那峡は当時の地理学者、志賀重昂が、大井ダムの湖景と一帯に見られる奇岩の調和を称え命名したものです。全国にはダムの開発によって景観が損なわれたケースが多いのですが、この恵那峡は全く逆のケースで、自然の造形と人工物の融合によって誕生した景勝地です。

明智光秀ゆかりの地「可児市」

明智光秀ゆかりの地
花フェスタ記念公園「テラスガーデン」と西ゲート(奥):ウイキペディア

岐阜県可児市は愛知県との県境に位置し、名古屋市圏のベッドタウンとして都市化したところです。ですので、昭和50年代以降に住み始めた人の多くは、可児市のことをあまり知りません。気持ち的には愛知県の一部みたいなイメージでしょうか。

もちろん元から可児に住んでいる人もいましたが、その倍以上が他から来た人です。喫茶店に行けばモーニングはありますし、お店の開店に行けば花をもらいに来る人がいるなど、文化や言葉も尾張地方と同じです。

本能寺は、京都府京都市中京区下本能寺前町にある、法華宗本門流の大本山。本能寺の変の舞台として知られます。現在の寺院には、恵昇院、蓮承院、定性院、高俊院、本行院、源妙院、龍雲院の7院の塔頭がある。 ウィキペディア本編の主人公。武士としては身分の低い美濃の牢人ろうにんとして生まれましたが、勇猛果敢な性格と、類いまれなる知力を、美濃を牛耳る斎藤道三に見いだされ、道三の家臣として重用されるようになります。
当初は美濃で生きることに疑いを持たず、生涯道三に仕え、その中で日々をおろそかにせず生きていくことを望んでいたが、父代わりの道三に「大きな世界と対峙たいじすることがおまえの使命だ」と諭され、次第に考え方が変わっていくのです。
やがて、主君として付き従った道三が息子・義龍にうたれたのち、美濃を追われ、京で細川藤孝、足利義昭と出会い、さらに後半生の主君・織田信長に会ったことで彼の運命が大きく動き出していくのです…。後は見てのお楽しみ。

歴史上の英雄たちは、時代によってその人物評が変わってゆきます。
新しい資料の発見も有りますが、時代の変化が人物の見方を変えてゆくのだと思います。
戦国時代、京都本能寺で明智光秀が織田信長を討ったという劇的な事件は、江戸時代の思考によって逆臣による反乱劇というレッテルを貼られ、その印象が後世にまで残り光秀像が作られてしまいました。
しかし、光の当て方により、光秀には別の顔が有ったのではないか、本能寺の一件は光秀と信長の関係を見直すことにより意味合いが一変し、歴史の転換点として深い意義を持つのではないか、そういう説に興味を持ち、執筆しました。

2020年大河ドラマ「麒麟がくる」「明智光秀」を巡る旅 まとめです

麒麟がくる

主役の明智光秀とは

一介の浪人から織田信長に仕え、その卓越した才能を発揮し、織田家の中でも異例の出世をします。 所領では税金を軽減して治水工事を行うなど善政も見られ、はたまた連歌会を催すなど教養も豊かな片りんを見せます。
そして、織田信長の天下統一に尽力するも、突如謀反を起こし、本能寺の変にて織田信長を討った人物としてあまりにも有名です。
織田信長を討つも味方する者はなく、山崎の戦いにて豊臣秀吉に破れ、逃走中に土民に襲撃されて、わずか11日の天下であったとされるのが明智光秀です。

明智光秀由来の地

明智光秀ゆかりの地 「美濃国」

岐阜城

明智光秀ゆかりの地 「恵那市明智町」

光秀まつり

栗きんとん

恵那峡

可児市

本能寺